読書会『お寺de名著』過去の記録

 読書会『お寺de名著』 過去の記録

虔十庵(けんじゅうあん)の開催

 5月21日

宮沢賢治が苫小牧に来た日を
斉藤征義記念 宮沢賢治ライブラリ「虔十庵」のお披露目とし、読書会を開催しました。
3月に閉じた「斉藤征義の宮沢賢治と詩の世界館」にあった本の大部分を受け取り、保管する事になったためです。
2019年に亡くなった斉藤征義さんは、世界館の館長丸山さんによれば、とにかく「人たらし」だったそう。
21日は、斉藤征義さんの奥様けい子さんと娘さんの峰子さんもきてくださいました。
斉藤征義さんといえば穂別の職員で、そこに住む一般の人達と「田んぼでミュージカル」や「いい爺ライダー」を作った人として知ってはいました。
詩人としても知られている人ですが、元々は千歳の商事会社に勤めており、47年前に岩手県花巻文化会館の落成記念に「宮沢賢治展」が開かれるとともに、道内7ヶ所でも「宮沢賢治展」を開こうと、30代の斉藤征義さんが任されたそうです。
奥様のお話では、その時に、賢治の弟の清六さんが資料を門外不出のようにして持っていたものを、斉藤さんが貸して欲しいとお願いに行き、清六さんに「兄に聞いてみるから一日待って欲しい」と言われた事。
次の日には「兄が夢に出てきてその人に任せるように、と言われたのでお貸しします」と言われたのだと聞いて、不思議な気持ちになりました。
それまでも賢治の本は出版され、賢治研究の会も出来始めた頃ではあるけれど、この北海道の宮沢賢治展が、大成功を納め、全国的にも回る事により、今の賢治ブームが出来上がったと言ってもいいそうです。
道内7ヶ所での開催、縁のある苫小牧から始まったと聞きました。
それから、賢治の事について聞かれたら答えられるようにと、本をひたすら買い、全てに目を通していたそうです。
宮沢賢治について個人で所有する本の数としては日本一だったそう
うちで預かる事になったのは、世界館でのお付き合いの中で、うちの宗派が、賢治も信仰していた法華宗である事と、昔、けい子さんの妹さんのお琴を住職のお姉さんのためにと買い取らせてもらったという事で、縁があるのだと感じて頂いたのもあるそうです。
私がやっているみょうけんじ文庫も
ひらがなにすると宮沢賢治のけんじが入るなぁと思ってつけたのでした。
その本を預かるにあたって、どういう名前にするか、住職と悩みました。
色々な候補の中から浮かんできたのは「虔十公園林」の虔十。
私が「虔十公園林」と出会ったのは子ども達が小さな時。子どもを連れて実家近くの絵本専門店で次男にせがまれ、その紙芝居を読んだ時です。途中で主人公が死んでしまう展開に驚き、その後の話を泣くのを堪えながら読んだ記憶があります。
その虔十の家族の優しさ、虔十の自然に対する感受性。バカだといわれながら本当の幸いを知る人であった。
それは賢治そのものだと思えたから。
当日は苫小牧の朗読活動を長く続けている小関一子さんに朗読をお願いし、ハンマーダルシマーで五十嵐奏子さんに演奏をお願いしました。
打ち合わせと合わせての練習は2回ほどでしたが、本当に素晴らしい朗読と演奏を聴かせてくださり、聴いていたみなさんが涙を堪えていました。
それから読書会では皆さんがそれぞれに感じた事を話し、虔十庵をご案内して無事終える事ができました。
北海道新聞社が初めて絵本を出版しようと企画した時に「銀河鉄道の夜」でいこうと事になり、その時道新の文化講座で宮沢賢治の講師を担当していた斉藤征義さんに編集を。画は、その時まだ世に知られていなかった佐藤国男さんが、大工でありながら宮沢賢治の木版画を作っていたというので、白羽の矢がたったそうです。
その本がとても売れて、版を変えて、3度発行し、その後他のお話も出されたそうです。
けい子さんからその佐藤国男さんのハガキも頂いて、来られた皆様にお土産としてお渡しする事ができました。
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